はじめに
中小企業のM&Aにおいて「在庫」は、多くの案件で企業価値を左右する重要な要素です。在庫は企業資産の中でも比重が大きく、その評価や管理次第でM&Aの成否に直結するケースも少なくありません。実際、在庫評価の不備や滞留在庫、帳簿と実数の差異といった問題が交渉段階で発覚すると、最悪の場合、買い手の信頼を損なって取引が破談に至る場合もあります。
本記事では、中小企業M&Aにおける財務デューデリジェンス(財務DD)で、在庫評価がなぜ重要なのかを掘り下げ、評価の基本、問題となる在庫の種類、財務DDの確認ポイントまで解説します。
M&Aを検討している経営者や実務担当の方にとって、在庫評価の視点を身につけ、潜在的なリスクを回避し、企業価値に基づいた的確な意思決定につながる一助となれば幸いです。
中小企業M&Aにおける「在庫」とは?
M&Aを検討する際、対象企業の資産を正確に把握するうえで在庫は注意深く見るべき項目です。この章では、在庫の基本定義、中小企業の課題、M&Aの主要論点を解説します。
在庫の定義と種類
在庫とは、販売用に保有する商品や製品、製造に必要な原材料などを指します。会計上は「棚卸資産」と呼ばれ、企業の貸借対照表に資産として計上されます。
在庫には、以下のような種類があります。
- 商品
外部から仕入れて、加工せずにそのまま販売する物品。小売業における陳列品などがこれに該当します。 - 製品
自社で製造した完成品。製造業における工場出荷前の製品などが該当します。 - 半製品
製品の製造途中のもので、このまま販売することも可能な状態の物品です。 - 原材料
製品を製造するために仕入れた物品です。 - 仕掛品
製品の製造途中であり、まだ販売できない状態のものを指します。
こうした在庫が工場の片隅や倉庫に長期間、手つかずのまま保管されていることも珍しくありません。
中小企業における在庫管理の課題
中小企業は在庫管理に特有の課題を抱えていることがあります。
- 管理体制の不備
専任担当者がおらず他業務と兼任していたり、在庫管理システムが未導入でExcelや手書きで管理している。 - 過剰在庫・滞留在庫の発生
正確な需要予測が難しさから、欠品を恐れて過剰発注したり、販売機会を逃すことでの「滞留在庫」が発生しやすい体制になっている。 - 評価方法の不統一や誤り
在庫の評価方法が明確にされておらず、担当者によって評価方法が変わることで、会計ルールに沿った一貫性のある処理がされていない。
これらの課題は、日々の経営では問題にならなくてもM&Aの場では重大なリスクになりうる場合があるため、注意が必要です。
M&Aにおいて在庫が重要視される理由
M&Aにおいて在庫が重要視される理由は、主に以下の3つです。
- 純資産への影響
在庫が適切に評価されていなかったり、滞留在庫が多く含まれている場合、帳簿上の資産価値が実態とかけ離れていることがあります。この場合、DDで評価損の計上が必要となり、純資産を基準に価格交渉を行う案件では、企業価値の引き下げにつながる可能性があります。 - キャッシュフローへの影響
在庫は、企業価値の評価上「運転資本」として扱われます。そのため、一見すると企業価値に影響しないようにも思われます。
しかし、慢性的に過剰在庫や滞留在庫が発生している場合、その影響はフリー・キャッシュフロー(事業で得た現金のうち自由に使える分)に反映される可能性があります。企業価値が下がれば、買い手が提示する買収価格も引き下げられるおそれがあります。 - 買収後のPMI(経営統合)への影響
ずさんな在庫管理体制は、買収後のPMIで業務フローの非効率化や追加投資など、買い手に想定外の負担を強いる可能性があります。
このように、在庫はM&Aの価格交渉から買収後の経営まで、広範囲に影響を及ぼす重要な論点となる項目です。在庫の評価や管理状況を正しく把握することは、M&Aを成功に導くうえで欠かせない視点と言えるでしょう。
在庫評価の基本とM&Aにおける評価方法
この章では、在庫評価の基本ルールと、DDにおける評価の考え方を解説します。
在庫の基本的な評価方法(原価法)
在庫の評価は、原則として「取得原価」、つまりその在庫を仕入れたり製造したりするのにかかった費用で計算します。これを「原価法」と呼びます。原価法には、いくつかの計算方法があります。
評価方法 | 概要 | 主な特徴 |
---|---|---|
先入先出法 | 「先に仕入れたものから先に払い出される」と仮定し、期末在庫は新しく仕入れたものとして評価。 | ・実際の物の流れに近い・物価上昇時に利益が大きく計算される傾向 |
平均原価法 | 期中の仕入単価を平均して評価。総平均法と移動平均法がある。 | ・計算が比較的容易・多くの中小企業で採用 |
最終仕入原価法 | 事業年度の最後に仕入れた単価で、すべての期末在庫を評価。 | ・手続きが非常に簡便・会計上の合理性は低いとされる・税法上の法定評価方法 |
採用する評価方法によって在庫評価額や売上原価が変わるため、DDではその妥当性を慎重に検証する必要があります。
低価法とは
原価法に加え、重要な評価基準に「低価法」があります。これは、期末在庫の「時価」が帳簿価額(取得原価)より下落している場合、時価で評価する会計ルールです。
たとえば、100円で仕入れた商品が70円でしか売れなくなった場合、帳簿価額を70円に減額し、差額の30円を評価損として計上します。これにより、含み損を早期に財務上で反映できます。

M&Aで問題となる在庫の種類とリスク
M&Aのデューデリジェンス(DD)を進める中で、特に注意すべきなのが、帳簿上は健全に見えても、実際には価値が乏しかったり、何らかのリスクを抱えている在庫です。
こうした在庫は、企業価値の算定や価格交渉に大きな影響を及ぼすおそれがあります。
代表的な種類と、それぞれのリスクは以下の通りです。
問題となる在庫の種類 | 主な発生原因 | 企業価値への影響 | DDにおける主な発見方法・確認ポイント |
滞留在庫・陳腐化在庫 | ・需要予測の誤り・過剰な生産、発注・製品ライフサイクルの終了 | ・大幅な評価損の計上・保管コストの増大・税務上の評価損否認リスク | ・在庫年齢分析(エイジングリスト)・現物確認での状態チェック |
不良在庫・品質劣化在庫 | ・製造過程のミス・不適切な保管環境・サプライヤーからの納品不良 | ・廃棄損の計上・ブランドイメージの低下・損害賠償リスク | ・現物確認での品質チェック・品質管理体制の評価 |
簿外在庫・棚卸差異 | ・管理体制の不備・計上ミス、入力漏れ・従業員による不正 | ・実態純資産の変動・追徴課税リスク ・過去の決算の信頼性低下 | ・実地棚卸での全量確認・帳簿と現物の照合 |
赤字在庫 | ・販売価格または製造原価の設定ミス・顧客との条件交渉の遅延 | ・実態純資産の変動・将来キャッシュ・フローの低下 | ・販売価格と在庫単価との比較・赤字理由のヒアリング |
これらの問題在庫は、売り手自身が正確に把握していないケースも少なくありません。そのため、買い手企業側が専門家の知見を頼りに精査することが重要です。
財務DDにおける在庫の確認ポイントと具体的な調査方法
在庫に潜むリスクを明らかにするため、財務DDではどのような調査を行うのでしょうか。ここでは、在庫に関する財務DDの確認ポイントと調査・分析方法を解説します。
1.在庫管理体制の評価
まず、企業が在庫をどう管理しているか、その「仕組み」自体を評価します。
- 在庫管理規程の有無と運用状況
在庫の受入から保管、出荷までのルールが文書化され、現場で適切に運用されているかを確認します。 - 棚卸実施状況
年に何回、どのような方法で棚卸を行い、その際に第三者が立ち会っているかなどをヒヤリングします。 - 在庫管理システムの導入状況
システム導入済みなら機能やデータの信頼性を評価し、手書きやExcel管理なら入力ミスや改ざんリスクを慎重に検討します。
2.在庫評価方法の妥当性検証
在庫の評価額が会計基準に照らして妥当か検証します。採用している評価方法(先入先出法など)の確認と、その計算が正しく、かつ毎期一貫して適用されているかを確認します。
3.実地棚卸の重要性と留意点
財務DDのハイライトは「実地棚卸」への立ち会いです。必要な場合には専門家が現地に赴き、自らの目で在庫状況を確かめます。
- 立会いの目的
単に数量を確認するだけでなく、品質、保管状況、滞留・陳腐化の兆候がないかを実際に目で見て評価します。例えば、埃をかぶった段ボールは滞留在庫のサインかもしれません。 - カットオフの確認
棚卸基準日をまたぐ売上・仕入が正しく計上されているか(カットオフ)も重要なチェックポイントです。
4.帳簿残高と実地棚卸結果の照合と差異分析
実地棚卸で把握した実際の数量と帳簿上の数量を照合し、差異があれば原因を究明します。計上漏れ、入力ミス、不正の兆候など、原因によって企業価値への影響や取るべき対策は大きく異なります。
5.滞留・陳腐化・不良在庫の特定と評価減の検討
滞留在庫の特定には「在庫年齢分析(エイジングリスト)」がよく用いられます。在庫の入庫時期をリスト化し、長期間動いていない在庫をあぶり出す分析です。この結果と今後の販売計画を照合し、必要なら評価損の計上額を算定します。
6.表明保証条項によるリスクヘッジの検討
DDで判明したリスクや、把握しきれない潜在リスクには、最終契約書に「表明保証条項」を盛り込み、リスクヘッジを図ります。
これは、売り手が「在庫は適切に評価され、簿外債務も存在しない」と表明・保証するものであり、契約後に相違が発覚した場合、買い手は売り手に損害賠償を請求できます。
在庫評価における専門家の重要性
M&Aにおける在庫の論点は、単なる会計・税務知識だけでは対応できません。
専門家は、評価損や管理体制の問題を企業価値への影響額として具体的に算定し、買い手にとって有利な交渉材料へと転換します。このプロセスには、ビジネスの実態を踏まえてリスクを論理的に説明する豊富な実務経験が不可欠です。
筆者の経験上、中小企業では在庫が利益の調整弁として使われ、簿外在庫や仕掛品の金額が水増しされているケースが散見されます。実物があっても、製品保証などの理由で過剰な在庫を抱えたまま帳簿価額が据え置かれている例も多く、税務上は正当でも売り手との認識ギャップを生みやすい要因です。
また、特殊なケースでは、赤字販売が継続する在庫が存在し、得意先との供給義務が残っていた事例もあります。
このように在庫に関する論点は多岐にわたり、資産に占める割合が大きい場合は、在庫の性質を十分理解したうえでの精緻な調査が不可欠です。
なお、DDで明らかになった課題は、買収後のPMI(経営統合)で取り組むべき改善リストにもなり得ます。M&Aという後戻りできない判断において、在庫調査に専門家を活用することは、リスクを抑えリターンを最大化するための賢明な投資と言えるでしょう。
まとめ
本記事では、中小企業M&Aで見落とされがちな「在庫」のDDに焦点を当て、その重要性から具体的な調査方法まで解説しました。
在庫は、時にM&Aの成否を左右するほど企業価値に影響を与える重要資産です。適切な在庫評価、滞留在庫や棚卸差異の的確な把握が、公正な企業価値評価と円滑なM&Aの実現に不可欠です。
しかし、在庫に関する詳細な調査には高い専門性が求められ、自社だけでの完結は容易ではありません。本記事で解説した視点やチェックポイントを踏まえた上で、在庫評価に知見のある専門家と連携し、適切に手続きを進めていきましょう。
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