はじめに
M&Aは、事業拡大や再建、後継者問題の解決など、企業の成長や課題解決を図るうえで有効な選択肢のひとつですが、成功させるためには、財務状況や税務リスクの見極めといった事前の検討が不可欠です。
なかでも、買収対象企業が保有する「繰越欠損金」は、買収後の法人税負担を軽減できる可能性があり、M&Aの経済的メリットを左右する要素として注目すべきポイントの一つです。
ただし、繰越欠損金を効果的に活用するためには、M&Aのスキーム選択や税法上の制限に対する正確な理解が必要です。誤った判断をすれば、節税効果が得られないどころか、思わぬ税務リスクを招くおそれもあります。
そこで、本記事では「M&Aにおける繰越欠損金の引き継ぎ」をテーマに、その基本的な仕組みからスキームごとの取扱い、税務デューデリジェンス(税務DD)で確認すべきポイントまでを分かりやすく整理します。M&Aを検討している経営者や実務担当の方にとって、繰越欠損金を有効に活用するための実務的な視点を得る手助けとなれば幸いです。
繰越欠損金とは?
そもそも「繰越欠損金」とは何なのでしょうか?ここでは繰越欠損金が何を指し、企業にどのようなメリットをもたらすのか、基本的な内容を解説します。
繰越欠損金の定義
繰越欠損金とは、会社が過去の事業活動で計上した税務上の赤字のことです。
法人税法では、企業の特定の事業年度に欠損金(赤字)を生じた場合、その欠損金を翌年度以降の所得金額(黒字)から控除することが認められています。これにより、将来的な税負担の軽減が期待できるため、M&Aにおいても重視されるポイントとなっています。
繰越欠損金のメリット
繰越欠損金の最大のメリットは、翌年度以降の黒字と相殺することで、課税所得を圧縮できる点です。
たとえば、1000万円の繰越欠損金を持つ企業が当期に300万円の所得(黒字)を上げたとします。通常であればその300万円に対して課税義務が発生します。しかし、繰越欠損金があれば相殺が可能となります。当期の課税所得は0円となり、法人税額を大幅に圧縮できます。この例では、700万円の繰越欠損金が残り、翌年度以降も利用可能です。
繰越欠損金の利用条件と主な制限
企業買収後の節税効果が期待できる繰越欠損金ですが、無条件に利用できるわけではありません。ここでは、繰越欠損金の利用に必要な条件と、控除に関する制限について解説します。
- 繰越期間
繰越期間は、原則として欠損金が発生した事業年度の翌年から10年間です(平成30年4月1日以後に開始する事業年度に生じた欠損金から適用)。期間を超過した分は利用不可となります。 - 控除限度額
資本金が1億円以下の中小企業は全額の繰越が認められていますが、資本金1億円超の法人や資本金5億円以上の法人の完全子会社などは控除額に制限があります。平成30年(2018年)4月1日以降の事業年度では繰越控除前所得の50%が控除限度額となります。 - 青色申告の継続が前提
利用するには、青色申告の承認を受け、かつ継続して青色申告書を提出していることが前提となります。もし承認の取り消しや期限内の未申告があった場合、繰越欠損金が利用不可となる可能性があります。 - 帳簿書類の保存が必須
税法で定められた帳簿書類を適切に保存していることも、基本的な要件に含まれます。
これらの条件や制限を正しく理解することが、M&Aで繰越欠損金のメリットを活かすための第一歩となります。
M&Aにおける繰越欠損金の引き継ぎの基本
M&Aで他社を合併したからといって、繰越欠損金の引き継ぎは自動的に行われるわけではありません。ここでは、繰越欠損金の引き継ぎに関する考え方と、引き継ぎに制限や問題が発生するケースについて解説します。
繰越欠損金引き継ぎの原則
買い手が譲渡企業の繰越欠損金を引き継ぐ最大の意義は「節税メリットの承継」です。上手く活用できれば、売り手企業の過去の赤字を、買収後の利益と相殺し、法人税負担を軽減できる可能性があります。これは、M&Aの投資回収期間の短縮やキャッシュフローの改善も期待できる要素です。
しかし重要なのは、引き継ぎがM&Aスキーム、買収状況、税法の特定規定によって制限されたり、認められないケースがあるという点です。税法は、不当な租税回避を目的とした利用を防ぐため、様々な規制を設けています。そのため、「繰越欠損金があれば必ず節税になる」と考えず、引き継ぎの可否や条件を慎重に判断する必要があります。
引き継ぎが問題となるケース
繰越欠損金の引き継ぎに制限や問題が発生する主なケースは以下の通りです。
- M&Aスキームの違い
繰越欠損金を持つ会社(売り手企業)の法人格がM&A後も維持されるか(株式譲渡)、消滅するか(吸収合併)によって繰越欠損金の取り扱いは根本的に異なります。
また、事業譲渡の場合は、原則として繰越欠損金は引き継がれません。 - 租税回避行為とみなされる場合
繰越欠損金の利用が、「不当な税金逃れである」と税務当局に判断された場合、否認されるケースがあります。たとえば、事業活動を行っていない休眠会社や、事業実態のないペーパーカンパニーが持つ多額の繰越欠損金の利用を目的とした買収は、租税回避と指摘される可能性が高いです。
【M&Aスキーム別】繰越欠損金の引き継ぎ可否条件と主な利用制限
M&Aの手法(スキーム)によって、繰越欠損金の引き継ぎの可否や利用条件は大きく変わります。代表的なスキームごとの詳細を下記にまとめました。
M&Aスキーム | 繰越欠損金の引き継ぎ | 主な利用制限・注意点 |
株式譲渡 | 原則として被買収企業に残存し、利用可能。 | ・租税回避行為と見なされた場合に制限リスクあり。 ・買収後5年以内の旧事業廃止などにも注意が必要。 |
合併 | 適格合併 一定の税法要件(金銭不交付、支配関係の継続、事業引き継ぎなど)を満たせば、被合併法人の繰越欠損金は合併法人へ引き継ぎ可能。 非適格合併 原則として引き継ぎ不可。繰越欠損金は消滅。 | 適格合併の注意点 ・株式譲渡と同様の「特定株主等により支配された欠損等法人の欠損金の繰越制限」の適用リスクあり。 ・グループ法人税制上の制限(100%親子会社間であっても支配関係継続が5年未満の場合の利用制限、みなし共同事業要件が未充足の場合の制限など)に留意が必要。 |
事業譲渡 | 原則として引き継ぎ不可。繰越欠損金は売り手側に残存。 | このスキームでは、買い手は売り手の繰越欠損金を活用することは基本的にできません。 |
会社分割 | 適格分割(主に分社型) 一定の税法要件を満たせば、分割事業に関連する繰越欠損金は分割承継法人へ引き継ぎ可。 非適格分割 原則として引き継ぎ不可。 | 適格分割の注意点 適格合併と同様に、グループ法人税制上の利用制限リスクあり。 |
上記のように、スキームごとに繰越欠損金の取扱いが異なります。
スキームの選択が、繰越欠損金の活用、ひいてはM&A全体の経済効果に直結する重要なポイントとなるため、それぞれの違いを適切に理解しておくことが重要です。

税務デューデリジェンスにおける繰越欠損金の確認ポイント
税務デューデリジェンス(税務DD)は、売り手企業に潜む税務上の実態を見極めるうえで欠かせないプロセスです。中でも繰越欠損金は、活用できるかどうかでM&A後の税負担が大きく変わるため、税務DDの実施において重要なポイントとなります。
下記に、税務DDにおいて確認すべき繰越欠損金に関する具体的なポイントをまとめました。
- 繰越欠損金の有無と正確性の検証
- 過去の法人税申告書を参照し、欠損金の発生時期、金額、繰越期限を調査し把握します。
- 会計上の赤字と税務上の欠損金との間に差異が生じた際の要因(減価償却費の償却限度超過額など)について把握します。
- 青色申告の承認状況の確認
- 青色申告承認申請書(控え)を確認します。
- 各事業年度において青色申告が継続されているかを検証します。また、過去に承認の取り消しや期限切れがなかったかも確認します。
- 繰越欠損金が発生した原因と内容の分析
- 一過性の損失によるものか、あるいは構造的な赤字体質によるものかを見極めます。
- 欠損金が発生した事業の現状(継続しているか、撤退・縮小しているかなど)と、欠損金との関連性を分析します。
- 繰越欠損金の引き継ぎ制限・利用制限リスクの調査
- 過去の株主異動や組織再編の履歴を詳細に確認し、法人税法に抵触するリスクがないかを確認します。
- グループ会社である場合には、グループ法人税制による利用制限(親子会社間の取引など)の有無を調査します。
- 節税目的が露骨な取引ではないか、また、過去の税務調査で指摘事項がなかったかなどを確認します。
- 繰越欠損金の利用見込みの試算
- 買収後の事業計画に基づいて将来の課税所得を予測し、繰越欠損金の利用可能額と利用時期をシミュレーションします。
- M&A後の事業内容の変更によって、繰越欠損金が利用できなくなるリスクも考慮します。
- 表明保証条項によるリスクヘッジ
- 税務DDにおいてリスクや不確実性が判明した場合には、M&A契約の表明保証条項において、売手側に一定の責任を明確に規定し、買手のリスクを契約上ヘッジする対応を検討します。
繰越欠損金の引き継ぎにおける専門家の重要性
これまで解説してきた通り、M&Aにおける繰越欠損金の引き継ぎは、適切に活用できれば買収後の税負担を大きく軽減できる可能性があります。しかしその適用には複雑かつ厳格な条件が伴います。
繰越欠損金を有効に活用し、M&Aを成功へと導くためには、最適なスキームの選定、税制の正確な理解と適用、そして徹底した税務DDの実施が欠かせません。
特に、特定株主の異動に伴う制限やグループ法人税制上の制約、さらには租税回避と見なされるリスクについては細心の注意が必要です。これらの規定は専門性が高く、状況によっては解釈や対応が難しい場合も少なくありません。
そのため、繰越欠損金を含む税務全般については、M&Aの検討段階から経験豊富な税理士などの専門家に相談することが極めて重要です。専門家は、個別の状況に応じたスキームの提案や、的確な税務DDの実施、潜在的リスクの洗い出しと対応策の立案など、実効性のあるサポートを提供してくれます。
まとめ
今回は、M&Aにおいて繰越欠損金を引き継ぐ際の考え方、M&Aスキーム別の取扱いの違い、主な利用制限、そして税務デューデリジェンスにおける重要な確認ポイントについて解説しました。
繰越欠損金は、M&A後の税負担を軽減するだけでなく、キャッシュフローの改善や再投資余力の確保にもつながる重要な財務的資源です。ただし、その引き継ぎや活用には複雑な制度上の制限が伴い、スキームや状況によって結果が大きく変わります。
有効に活用するためには、制度を単に知るだけでなく、M&A全体の戦略や事業計画と照らし合わせて活かす視点が求められます。繰越欠損金を「どう使うか」は、M&Aの成果を左右する重要な判断のひとつと言えるでしょう。
M&Aを成功に導き、繰越欠損金を最大限に活用するためには、本記事で解説した税務リスクや注意点を事前にしっかりと認識することが不可欠です。
その上で、税理士などの専門家と緊密に連携し、M&Aの検討段階から適切なアドバイスを受けながら、慎重に手続きを進めていきましょう。