はじめに
近年、事業承継や後継者不在問題を背景に、中小企業のM&Aが関心を集めています。しかし、こうした中小企業の企業買収は、大企業のM&Aと異なり、中小企業特有のリスクが存在するため、買収後に予想外のトラブルや追加コストが発生するケースがあります。
特に注意が必要なのは、財務デューデリジェンス(財務DD)で確認すべき役員借入金やオーナーの私的経費の混在、そして不適切な会計処理などです。こうしたリスクを見過ごして買収を進めると、予想外の負債を抱えたり、実質的な利益が薄い企業を高値で買ってしまうといった問題が起こり得ます。
本記事では、中小企業M&Aにおいて買い手企業が特に気をつけるべきポイントを整理し、財務DDを効率的かつ的確に行う方法を解説します。M&A担当者や経営者の方々が、M&Aを進める際の判断材料として参考にしてください。
中小企業M&Aで問題となる点
中小企業のM&Aでは、買い手側がどのような場面で問題を発見し、どう対処するかが重要です。ここでは「意向表明提示前」「独占交渉権獲得後〜DDフェーズ」「契約フェーズ」の3つの段階に分け、代表的な問題点と対策を紹介します。
意向表明提示前
- カーブアウト方針や価格前提が明確でない
会社分割や事業譲渡(アセットディール)など、会社の一部だけを切り出して売却する手法を用いる場合は、事前に「どの資産・権利・人員を買収対象とするか」を明確にしておく必要があります。
ここが曖昧だと、ブランドや顧客情報、人材、設備などを実際にどこまで引き継げるのかが不透明となり、意向表明後の交渉で大きな食い違いや条件変更が生じやすくなリます。意向表明の段階で「何を含めて買うのか」と「カーブアウト後の財務状態(買収対象を切り離した後の数値)」について、売り手と十分に認識をすり合わせることが重要です。 - 核となる人材の移管が明確でない
技術開発のキーパーソンや営業責任者など、会社の強みを作り上げている重要な人材が、買収後も継続して働く意思があるかどうか不明確なケースがよくあります。こうした人材が買収完了後に退職してしまうと、想定していた事業価値が大きく下がってしまうリスクがあるため、意向表明の段階で、早めに重要人材と面談の機会を持ったり、処遇条件について話し合いを始めたりして、継続の可能性を見極めておくことが大切です。 - 買収目的の資産が既に失われている
極端な例ですが、買収目的だったブランド・人脈などの資産が既に売り手側で失われているケースも存在します。こうしたケースはDDを実施すること自体が無駄になりかねないため、DDに進む前に実際に欲しい資産や権利が残っているかを確認することが重要です。 - 売り手がDDの重要性を理解していない
中小企業のオーナーが、デューデリジェンスに十分な時間を割く必要性を認識していないことがあり、そのためスケジュールが過密になり資料整備が間に合わず、買い手が不十分な情報のまま交渉せざるを得なくなるケースもあります。必要なDD期間を買い手の立場で仲介業者や売り手と調整し、余裕を持たせた期間設定を行いましょう。 - DDを実施する専門家を検討していない
意向表明後に急いでDDを担当する専門家を探すと、十分に吟味する時間がなく、M&Aの経験が浅い専門家に頼らざるを得なくなることがあります。企業の顧問税理士でも、M&Aの財務DDの経験が豊富とは限らないため、買い手側は早めにM&A実績のある会計・税務の専門家をいくつか候補に挙げ、準備しておくと安心です。
独占交渉権獲得後〜DDフェーズ
独占交渉権獲得後のDD段階では、次のような会計・税務・法務・労務リスクが表面化しやすいです。
(a)会計・税務に関する事項
- オーナー個人の私的経費の計上
オーナー個人の支出が会社経費に混在していると、正常な収益力を見誤るリスクがあります。特に交際費、旅費交通費、福利厚生費などにオーナー家族の私的支出が混入している場合、企業買収後の実質利益が当初想定を下回り、投資回収計画に狂いが生じる可能性があります。実際のDDでは、高額な支出項目を抽出し、領収書原本との照合を行うことが重要です。 - 不透明な関連当事者取引
親族会社との不透明な取引や役員借入金などがあると、隠れ負債や過大評価の原因になります。特にオーナー一族が経営する別会社との間で行われる取引(不動産賃貸や商品の売買など)が市場価格と乖離している場合、買収後に是正すると収益性が大きく変動することがあります。DDでは、全ての関連当事者取引を洗い出し、取引条件の妥当性を詳細に検証することが必要です。 - 親族への過大な役員報酬・給与
オーナーの親族の従業員や役員に不自然に高額な報酬を支払っていて、表面上の利益が実態より低い(または利益操作された)状態になっているケースも見受けられます。買収後に人員体制を見直すことで、人件費が大幅に削減され収益性が改善するケースもありますが、その分、売り手に過大な対価を支払うリスクを避けるため、実質的な貢献度と報酬の関係を精査することが重要です。 - 不適切な会計処理
在庫過大計上や費用の先送りなど、粉飾決算の疑いがあるかを慎重に確認しましょう。特に在庫の実在性や評価額、引当金の計上漏れ、売上の前倒し計上などは、財務DD時に注意が必要です。会計監査を受けていない中小企業では、税金対策として利益操作が行われている可能性もあるため、複数期間の推移分析や実地棚卸への立会いなどを通じて実態把握に努めるべきです。
(b)法務・労務に関する事項
- 株主構造が不透明
名義株などにより所有構造が不透明になっているケースがあります。特に創業者一族内での名義株や、事実上の所有者と登記上の株主が異なる状況では、買収後に正式な株主が現れて権利を主張するリスクがあります。株主名簿の確認だけでなく、株式取得の経緯や対価の支払い状況まで遡って調査することが望ましいです。 - 株主総会や取締役会議事録の欠如
必要な決議が形骸化しており、買収後に不備を指摘され問題となるケースもあります。特に重要な意思決定(役員報酬の決定、多額の借入・設備投資など)が適切な社内手続きを経ていない場合、決議の無効が主張される可能性があるため、DDでは過去数年分の議事録をすべて確認し、必要に応じて買収前に是正措置を講じるよう売り手に要請すべきです。
- 残業代の未払い
労務問題としての負債リスクが発生します。中小企業では36協定の未締結や労働時間管理の不備により、実質的な未払残業代が累積しているケースが少なくありません。これは買収後に従業員から請求を受ける可能性のある「隠れ債務」となるため、労働時間記録のサンプル調査や従業員インタビューを通じて実態を把握することが重要です。 - 書面契約を結ばない取引が常態化している
取引慣行のみで継続されている契約がM&A後に解消されるリスクがあります。特に大口の取引先との間で書面による契約が交わされていない場合、買収後の事業継続性に大きな影響を与える可能性があります。DDでは主要取引先との契約状況を確認し、必要に応じて買収前または買収後早期に契約書を締結するプランを立てることが賢明です。
契約フェーズ
DDが完了し、株式譲渡契約(SPA)やその他契約を締結する段階で、以下のような問題が生じがちです。
- 仲介業者作成の契約書を弁護士のレビューなしで進める
M&Aに詳しくない仲介業者が作成した契約書には、買い手に不利な条項や曖昧な表現が残る可能性があります。この状態で専門家によるリーガルチェックを怠ると、将来的に問題となる可能性もあるため、契約書の作成・レビューにはM&A案件経験が豊富な弁護士を起用し、DDで発見されたリスク項目が適切に保全されているかなど、細部まで確認することが重要です。 - DDで明らかになった問題点が契約条項に反映されていない
粉飾決算や負債計上漏れなど、DDで発覚したリスクに対応する表明保証・価格調整・エスクローといった仕組みが契約に盛り込まれていないと、買い手保護が不十分になります
発見されたリスク項目とその金額的インパクトを踏まえた契約設計を行い、重大な会計上の不備に対してはクロージング条件への追加や価格調整条項の設定など、リスクに応じた保全措置を組み込むことが大切です。

中小企業M&Aで問題が起きやすい根本原因
M&Aに不慣れである
中小企業のオーナーは、M&Aの経験がないことがほとんどです。大企業とは異なり、中小企業では社長自身が担当することも多く、M&Aプロセスの全体像やDDの重要性を十分理解していないことがよくあります。
例えば、DDを「買い手による単なる調査」と捉え、資料準備に消極的だったり、指摘事項を不快に感じたりすることも少なくありません。また、自社に不利な情報を隠す傾向もあり、結果的に買収後のトラブルにつながりやすくなります。
経営者の裁量権が大きい
中小企業では、オーナー経営者の判断一つで多くの意思決定がなされ、ガバナンスが効きにくい環境にあります。会計処理においても、オーナー1人の判断で不適切な会計処理や私的経費の計上を行えるケースが多く、大企業のような内部統制や相互チェック機能が働きにくいため、経営者の意向が直接的に反映されがちです。
質の低い仲介業者に依頼してしまう
近年の事業承継ニーズの高まりを背景に、M&A仲介業者が急増しました。中には、M&Aの専門的知識よりも案件獲得を優先する”営業重視”の仲介業者も少なくありません。こうした業者は成約に至るまでの流れを重視するあまり、売り手・買い手双方のリスクを十分に把握・開示せず、結果として買収後のトラブルに発展するケースもあります。特に中小規模のM&Aほど、こうした問題が顕著になる傾向があるため注意が必要です。
中小企業M&Aならではの問題に適切に対処する方法
経験豊富なメンバーをアサインする
中小企業M&Aの取引にはオーナー企業特有の問題が存在するため、中小企業に精通した知識や経験を持つメンバーで調査にあたることが望ましいです。財務デューデリジェンスや契約交渉には、過去に中小企業M&Aの案件を手がけた公認会計士・税理士・弁護士など、経験豊富な専門家を揃えることをお勧めします。
十分な検討期間を設ける
売り手オーナーが「早く取引を終わらせたい」と急かしてくる場合もありますが、中小企業の経理資料や契約書が整備されていないことが多い ため、短期間でのDDでは不十分になる恐れがあります。
意向表明提示前や独占交渉権を得る段階で、DDにどれくらいの期間が必要か を大まかに見極め、無理のないスケジュールを合意しておくことが重要です。
早期から専門性の高い業者のサポートを受ける
仲介業者の中には、営業力重視で細かな財務・税務リスクをカバーしきれないところもあります。M&AアドバイザリーやDD専門の公認会計士・税理士に早い段階で相談し、リスク発見のための資料収集やヒアリング計画を立てておくと、後々の手戻りを減らせます。
仲介業者に任せきりにしない
仲介業者は売り手と買い手の橋渡し役として取引成立を目指す立場です。売り手・買い手双方の利益を平等に守るというより、契約成立を優先する場合もあります。契約書作成やDD調整などを任せきりにせず、公認会計士や税理士などの専門家に依頼し、利益を守る体制を整えましょう。
まとめ:中小企業特有のリスクを可視化して適切な買収判断を
中小企業のM&Aではオーナーの裁量が大きく影響するため、「財務諸表に現れない役員借入金」「私的経費の混在」「粉飾決算の黙認」など、多様なリスクが潜んでいます。これらのリスクを見過ごすと、買収後に想定外の資金負担や利益の乖離が発覚し、投資回収の見通しが立たなくなる恐れがあります。
しかし、十分な検討期間を設けたうえで、経験豊富な専門家と連携し、表面上の決算書だけでなく契約書・口座明細・領収書・ヒアリングを総合的に確認すれば、リスクを回避できる可能性も上がります。万が一リスクが見つかった場合も、表明保証や価格調整の契約設計で買い手を保護することが可能です。
M&Aの成功確率を高めるためには、本記事で解説したリスクを事前に認識し、適切な専門家のサポートを受けながら、丁寧かつ慎重に財務DDを実施していきましょう。